前回の記事で、私は自分の脳を「Athlon」だと定義しましたが、その「デジタル思考」のOSがインストールされたのは、もっと昔のことです。
私の「格納庫(Hangar)」の記念すべき登録番号001。
それは、最新のゲーミングPCでも、Macでもありません。
1984年、ナショナル(現パナソニック)から発売されたMSXパソコン、「CF-3000(通称:キングコング)」です。
1.「セパレート型」と「専用モニター」の衝撃
当時のMSXといえば、キーボードと本体が一体になった、可愛らしいデザインが主流でした。
しかし、このCF-3000は違いました。
「本体」と「キーボード」が分かれている。
たったそれだけのことが、当時の私には決定的に重要でした。
さらに、母は本体だけでなく、「専用のカラーモニター」まで買い揃えてくれました。
このモニターは、テレビチューナーも内蔵しており、スイッチ一つで「パソコン」から「テレビ」へと早変わりします。
重厚なシルバーの筐体。
本体の上に鎮座する、自分専用の画面。
そして、そこから伸びる太いケーブルで繋がれたキーボード。
それは、「ファミコンの親戚」ではなく、「大人が仕事で使う本物のコンピュータ」そのものでした。
子供部屋にそのセットが置かれ、電源を入れた瞬間。
そこはただの勉強机から、世界へとアクセスする「指令室(コックピット)」に変わりました。
リビングのテレビを家族と奪い合う必要はない。
ここは、私だけの城。私だけの管制塔なのです。
2. 母の期待と「算数ソフト」
実は、このマシンは母が買ってくれたものでした。
母子家庭で決して裕福ではなかったはずです。
それでも母は、これからの時代を生きる息子に「未来の道具」を与えたかったのでしょう。
最初に母が買ってきたソフトは、ゲームではなく「算数の学習ソフト」と「将棋」でした。
「これでしっかり勉強しなさい」
そんな母の願いが透けて見えました。
私はその期待に応えようと、専用モニターの鮮やかな画面に表示される数式や、渋い将棋の駒と向き合いました。
しかし、少年の情熱はすぐに「学習」の枠を飛び越えてしまいます。
3. 英語の「理不尽」と、日本語の「物語」
私の記憶に深く刻まれているゲームが2本あります。
1本目は、「ゴーストバスターズ」。
後に発売されたファミコン版(アクションゲーム)とは全く別物でした。
画面に表示されるメッセージは、容赦ない「英語」。
子供の私には何が書いてあるか分からず、何をすればいいのかも分からない。
ただただ、言葉の通じない世界に放り込まれる「理不尽」を味わいました。
必死にゲームマニュアルと格闘した先にも、ただ理不尽な結果が待っている。
それは、ルールの分からない現実社会そのもののようでした。
そして2本目。
転機となったのが、お年玉を握りしめて初めて自分で買った「白と黒の伝説 百鬼編」です。
これは「スタジオWING」という会社が作った、オリジナルストーリーのコマンド選択式アドベンチャー。
当時としても「怪作」と言えるほど、独特で、少しおどろおどろしい世界観でした。
しかし、そこには「日本語」(カタカナですが)がありました。
意味の分かる言葉で語られる、重厚なストーリー。
英語の理不尽さとは違う、「物語に没入できる喜び」に震えました。
その後、「ハイドライド」で広大なフィールドを彷徨い、「ハイドライド2」で異世界を救い、そして「MSX版ドラゴンクエスト」へ。
「算数(計算)」のための道具だったはずのPCは、いつしか私にとって「物語(ナラティブ)」を体験するための扉になっていました。
4. 64KBの宇宙が教えてくれたこと
RAM(メモリ)は、64KB。
今のスマホの写真1枚すら入らないその小さな容量ですが、当時のMSX規格としては「拡張メモリROMすら必要としない、攻めた強気のフルスペック」でした。
母はおそらく、コンピュータの専門知識などなかったでしょう。
それでも、店員さんに「息子が後で困らない一番いいものを」と頼んでくれたのかもしれません。
母の愛は、この「後顧の憂いのない仕様」に込められていました。
理不尽な現実(学校でのいじめや孤独)があっても、電源を入れれば、私は別の世界の住人になれた。
自分でコマンドを打ち込み、世界に干渉することができた。
今の私が「ナラティブ・アーキテクト(物語の設計士)」として、自分の人生や思考を文章にしている原点は、間違いなくここにあります。
母がくれたのは、単なる機械ではありませんでした。
「現実とは違う世界へ行けるチケット」だったのです。
私の「思考の森」の最初の木は、あの銀色のマシンと、私だけのモニターによって植えられました。
ありがとう、キングコング。
ありがとう、お母さん。



コメント