8bitの黄昏に響いた音色と、システムディスクに潜んでいた「特異点」。——格納庫No.002:NEC PC-8801MC

格納庫

私の「格納庫(Hangar)」における登録番号001は、母が買ってくれたMSX(National CF-3000)でした。

そして時が経ち、1989年。

高校入学を控えた私が、母に「入学祝い」としてリクエストしたマシン。

それが、登録番号002、NEC「PC-8801MC」です。

1. 馴染みの店に無理を言った「指名買い」

当時、世の中はすでに「PC-9801」シリーズが覇権を握り、時代は16bit、32bitへと加速していました。

そんな中、私が選んだのは、8bit機の老舗であるPC-8801シリーズの「末弟」にして「異端児」でした。

なぜ、これからの主流である98ではなく、終わろうとしているMCだったのか?

「このデザイン、このスペックじゃないとダメなんだ」

私は母にそう訴え、懇意にしていた地元の家電店に頼み込みました。
すでに店頭のメインストリームから外れつつあったその機種を、店主の伝手を頼って、無理やり仕入れてもらったのです。

そこまでして手に入れたかった理由は、その「佇まい」と、ある「決定的な機能」に惚れ込んだからです。

従来の「事務機器然とした横置きデザイン」とも、ライバル機SHARP X68000の「黒い塔」とも違う。

「縦置きが必須」とされたその白い筐体を、専用のカラーモニターと並べて置く。

苦労して手に入れたその「白亜の館」が、子供部屋の机の上に並び立った時、それは単なる計算機ではなく、気品あふれる「情報を発信する基地(ステーション)」に見えました。

「人と同じものは選びたくない」
「性能よりも、美学とロマンを優先する」

私の2E的な特性(こだわり)は、この高校入学時の「指名買い」に、すでに色濃く表れていたのです。

2. CD-ROMという「空っぽの夢」

MCの最大の特徴は、当時としては画期的だった「CD-ROMドライブ」の標準搭載です。
しかし、ここには皮肉な現実がありました。

「CD-ROMソフトが、ない」のです。

時代はすでに16bit機や家庭用ゲーム機へと移行しており、今さら8bit機向けに大容量のCD-ROMソフトを開発するメーカーは皆無に等しかったのです。

それでも良かったのです。

MSXの「64KB」という箱庭で遊んでいた私にとって、そこに「540MBのドライブがある」という事実だけで、ご飯が食べられました。

トレーがウィーンと開き、ディスクを飲み込む瞬間の「未来に触れている感覚」
私はその「可能性の塊」としてのハードウェアを愛したのです。

3. さらばPSG、ようこそ「サウンドボードII」

ソフトがないなら、どう使っていたのか?
私はこのマシンを、最高の「楽器」として酷使しました。

当時、私のバイブルだった雑誌『マイコンBASICマガジン(ベーマガ)』

MSXが奏でる「PSG音源(3重和音)」のピコピコ音に限界を感じていた私は、MCに搭載された伝説の音源チップ「サウンドボードII」に救いを求めました。

  • FM音源:ステレオ6音
  • リズム音源:ステレオ6音
  • SSG音源:3音
  • ADPCM(サンプリング音源):1音

合計、16音ポリフォニック。

自分の指で打ち込んだプログラムが、重厚なシンフォニーとなって鳴り響く。

私は「AUX接続」にこだわり、背面の端子から外部コンポへとケーブルを這わせ、ステレオの大音量でその音色を浴びていました。

4. 教室で知った「3.5インチ」の衝撃

自宅で「白亜の館(8bit・5インチFDD)」に没頭していた頃、高校の「情報処理」の授業で、私はある種のカルチャーショックを受けました。

教室に並んでいたのは、当時のビジネス標準機「PC-9801」シリーズ。

そして、そこで使われていたフロッピーディスクは、私が自宅で使っているペラペラの「5インチ」ではなく、小さくて硬い殻に入った「3.5インチ」でした。

「世界はもう、こんなに小さくなっているのか……」

私の愛するPC-8801MCが、時代のメインストリームから外れた「黄昏のマシン」であることを突きつけられた瞬間でした。

しかし、その寂しさが逆に、自宅の「異端児」への愛着を深めました。
みんなが使っている「98(ビジネス)」とは違う。私にはこの「MC(ロマン)」がある。

5. システムディスクに潜んでいた「特異点」

そして何より、このマシンが私にもたらした最大の影響は、付属のシステムディスクに入っていた「N88-日本語BASIC」「エディタ」機能です。

MSXのBASICでは、行番号単位でプログラムを修正するのが当たり前でした。

しかし、88のスクリーンエディタは違いました。
画面上のカーソルを自在に動かし、文字を挿入し、削除し、コピーし、日本語(漢字)すらも自由に扱える。

「言葉を、こんなにも自由に操れるのか」

それは雷に打たれたような衝撃でした。

ただの文字列が、私の指先一つで意味を持つ文章になり、機能するコードへと組み変わっていく。

「書くこと(Writing)」「編集すること(Editing)」の根源的な快楽。

私が今、「思考の森」の主宰(Presiding over)として、言葉を紡ぎ、概念を構築することに魂を燃やしている原点は、間違いなくこの「MCのエディタ画面」にあります。

ゲームソフトがなかったからこそ、私はシステムディスクと向き合い、「言葉を編集する」という最強の魔法を見つけたのです。

さようなら、美しき8bitの徒花。

君は私に「未来の器(CD-ROM)」「音の彩り(FM音源)」、そして「創造の翼(エディタ)」を授けてくれました。

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