【幕間】ワトスン君の事件簿 Case #01:消えた黒い象牙と、探偵の灯台下暗し

映写室

1. 探偵の狼狽

ある日の午後、ミルク通り103番地。
けだるい日差しが差し込む探偵事務所に、悲痛な叫び声が響いた。

「ん? 嘘だろおい! ストックしておいたとっておきの『ブラック・アイボリー』が切れている! 注文した筈だが!?」

この部屋の主、シビル・アドラーは、まるで世界の終わりを見たかのような顔で、空っぽのコーヒー缶を逆さまに振っていた。
パラパラ……と出てくるのは、虚しい粉が少々。

彼女は慌ててデスクに向かい、雪崩を起こしそうな書類の山をひっかき回し始めた。

「注文受諾書……あれがないと、発注元に催促すらできない。……どこだ? 昨日ここに置いたはずだが」

シビルの言う「ここ」は、半径2メートル以内のどこかを指す。

彼女の脳内は「日本の死因」や「社会構造の欠陥」といった宇宙の真理で整理整頓されているが、デスクの上は常にカオス理論の実践場だ。

遠くの真実は見通せても、手元の紙切れ一枚が見えない。
これぞ天才の悲しき欠陥である。

「ワトスン、君、知らないかね? ……と、聞いたところで君が知っている訳ないよな」

彼女は深いため息をつき、再び書類の海へと潜っていった。


2. 琥珀色の観察者

その様子を、本棚の一番高い場所——通称「特等席」から見下ろす影があった。

この事務所の「真の同居人」にして、我輩、ミスター・ワトスンである。

我輩は大きなあくびを一つ噛み殺した。

(やれやれ。あの人間は、数千キロ離れた社会のバグは見抜けるくせに、自分の手元のログ管理すらできていないのか)

我輩の琥珀色の瞳(レンズ)は、昨夜の出来事を正確に録画していた。

昨夜、難解な哲学論文を読みながら寝落ちした彼女が、手近にあった「硬い紙」をどう扱ったか。 彼女はそれを無意識に掴み、分厚い本の間に挟んだのだ。

我輩は音もなく本棚から飛び降りた。
スタッ、という着地音にも、パニック状態のシビルは気づかない。

「くそっ、カサンドラからの請求書しか出てこない……!」

我輩は、焦る彼女の足元を優雅にすり抜け、デスクの端に積まれた「読みかけの古書タワー」へと向かった。


3. 解決:猫の手(物理)

我輩は、タワーの頂上に鎮座する分厚い哲学書――カントの『純粋理性批判』の背表紙に狙いを定めた。
そして、前足でチョイ、チョイ、と慎重に、しかし大胆に力を込める。

ガサッ、ドサッ!!

「うわっ!? 何だワトスン、急に!」

本が崩れ落ち、床に散乱する。
シビルは驚いて振り返り、そして眉を吊り上げた。

「――君ねぇ、散らかさないでくれたまえ。ただでさえ……ん?」

崩れ落ちた本の中から、一枚の厚紙がヒラリと舞い落ちた。
そこには見慣れたコーヒー豆のロゴと、「Order Confirmed(注文確定)」の文字。

「……あった」

シビルは目を見開いた。
「そうか、昨夜これを『栞(しおり)』代わりにして……」


4. 報酬のチュール

シビルは受諾書を拾い上げ、そして足元で「ニャー(仕事は終わったぞ)」と一鳴きして座っている我輩を見下ろした。

「……まさか、君が教えてくれたのか?」

我輩は答えない。

ただ、ゆっくりと尻尾を揺らし、空になった自分の餌皿へと歩き出しただけだ。
探偵たるもの、自分の手柄をひけらかすような野暮な真似はしない。

シビルは苦笑し、受諾書を大切に引き出しにしまった。

「ありがとう、名探偵。 どうやら君への報酬(チュール)も、追加発注しなきゃならないようだな」

ミルク通り103番地に、ようやく安らかなコーヒーの香りが戻ってくる。
だが、デスクの上が片付く日は、永遠に来ないだろう。 それを監視し続けるのが、我輩の仕事というわけだ。

(Case Closed)


Bonus story

彼女は、チュール「のみ」注文したと信じ込んでいる。
我輩はそこは抜かりはなくて、ね。

彼女の注文画面にそっと、「またたび」も、仕込んでおいたのさ。
我輩の「報酬」は高くつくのだよ、探偵君。

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