林檎の偽装と、完璧主義者のため息
山荘『アントルム・マートリス』の裏手。
私(あずきとそら)は、エレノア・ジンと共に、半地下にある古い車庫の前に立っていた。
「……エレノア。君まで付いてこなくても良かったんだが」
「そういう訳にはいきません。私はこの自然公園と山荘のシステム管理者ですよ。アルマ様のお孫さんとはいえ、勝手に私の管理物件を『秘密基地』に改造しているのです。保安上の監査は不可欠ですわ」
エレノアは美しい紫色のドレスの裾を軽く払い、毅然とした態度で車庫のシャッターを見据えた。
シャッターの脇に新設された鉄扉には、どこかで見たような「かじりかけの虹色の林檎」のステッカーと、「Think Different」と殴り書きされた段ボールの切れ端が貼られている。
いかにも、西海岸の若き天才が世界を変えるために籠もる、スマートなガレージ起業家(ジョブズ)を気取った外観だ。
「形から入る年頃なのでしょう。ですが、あの中で美しいイノベーションの火種が育っているというのなら、私も……」
エレノアが少しだけ期待を込めてノブを回し、重たい扉を開けた、その瞬間。
ピコピコピコ、ギャリリリリ! ズドドドドドド!
1ビットの狂気と、枯れた技術の山
扉の奥から溢れ出したのは、洗練された未来のビジョンなどではない。
鼓膜を揺らすBPM180超えのメロディックスピードメタルと、その合間に鳴り響く、信じられないほど重厚で変態的な「1ビットの矩形波(ノイズ)」のオーケストラだった。
「ようこそ、共犯者(お兄ちゃん)! ……って、げっ。なんで『完璧主義(システム・オタク)』のエレノアお姉さんがいるのさ」

油の染み付いたコンクリートの床。
そこに胡座をかいていたレオ・ケレスは、咥えていたスナック菓子を落としそうになりながら顔をしかめた。
彼の周囲には、最新鋭のMacintoshなど影も形もない。
あるのは、無造作に積み上げられたPC-8801のジャンク基板、真空管、そして分厚いマニュアルの山だ。
「レオ君。私の自然公園の電力を、このような無秩序で『不健全なシステム』の駆動に使っているのですか? いえ、それ以上に……」
エレノアは、頭痛を堪えるようにこめかみを押さえた。
「この部屋のUI(空間設計)は最悪です。コードも配線もスパゲティ状態。これでは拡張性も心理的安全性もありません。すべて一からリファクタリング(整理)すべきですわ」
枯れた技術の水平思考
エレノアの正論による容赦ない監査(ダメ出し)に対し、レオはゴーグルを額に押し上げ、不敵に笑った。
「あはは! 出たな、莫大なリソースと美しいコードが正義だと信じてる大人の発想! お姉さんのその『理想』、計算量が多すぎてこのジャンク部屋じゃフリーズしちゃうよ」
レオは、ハンダ付けの跡が痛々しい、妙な形状のプラスチック製アーム(ウルトラハンドのようなもの)を手に取った。
「いいかい? 拡張性だのスマートさだの、そんな『最先端』はダサいんだよ。僕の美学はね、すでに底が見えた『枯れた技術』を、誰も思いつかない水平方向へ使い倒すことさ。ほら、この基板を見てよ」
レオが指差したのは、どう見てもファミコン時代の古いサウンドチップだった。
「同時発音数が足りない? だったら、超高速のアルペジオで1ビットのノイズを切り替えて、人間の脳に和音だと『錯覚』させればいい。制約があるからこそ、変態的なハック(裏技)が生まれる。お姉さんのような『完璧な箱庭』じゃ、この泥臭いバグの面白さは一生味わえないね!」
エレノアは、レオの提示した「非効率極まりないが、なぜか圧倒的な熱量を持つシステム」を前に、美しい顔をわずかに引きつらせ、絶句していた。
西海岸のエリートを気取った扉の奥には、常識を嘲笑う「1ビットの悪魔」が棲んでいたのだ。
枯れた技術の「愛情測定器」
1ビットのノイズが鳴り響く魔窟『ザ・ガレージ』。
エレノアが頭痛を堪えながら「こんな無秩序なシステムは認められません」とお説教を始めようとしたその時、レオはジャンクの山から「あるもの」を引っぱり出してきた。
「まあまあ、怒らないでよエレノアお姉さん。今日は特別に、僕が開発中の『究極の共感システム』をテストさせてあげるからさ」

彼が差し出したのは、むき出しの基板に、アナログの針がついたメーター、そしてそこから伸びる「二つの金属製の球体(電極)」だった。
「……何ですの、この物騒なハードウェアは」
「ふふん。お姉さんはいつも『他者との共感』とか『心理的安全性』とか、小難しい言葉でシステムを組もうとするでしょ? でもね、人間の繋がりなんて、もっとシンプル(アナログ)なUIで測れるんだよ。名付けて、『グリッチ式・ラブテスター』さ!」
「ラ、ラブ……?」
エレノアの美しい顔が、わずかに引きつった。
究極のUIによる「共感」のハッキング
私(あずきとそら)は、嫌な予感がして後ずさった。
「おいレオ、それってまさか、昔のおもちゃにあった……」
「そう! 横井軍平氏の偉大なる発明のオマージュさ! 仕組みは超絶シンプル。二人の人間がそれぞれこの金属球を握って、空いた方の手で『手を繋ぐ』。すると、手のひらの汗(微弱な電気抵抗の変化)を読み取って、二人の『愛(共感度)』をメーターの針が示すってわけ」
レオはニヤニヤしながら、金属の球体を私とエレノアに一つずつ押し付けた。

「さあ、共犯者(お兄ちゃん)とエレノアお姉さん。言葉やビジョンを尽くすより、直接ハードウェア(身体)を繋いじゃった方が、共感のプロセスは圧倒的にショートカットできるよ。ほら、早く手を繋いで!」
「な……っ!? わ、私が、あずきとそら様と、こんな非科学的で、い、いかがわしいアナログ儀式を……ッ!?」
完璧主義者のフリーズと、メーターのバグ
エレノアは顔を真っ赤にして金属球を突き返そうとしたが、その瞬間、彼女の手汗(極度のストレスと動揺)を検知したラブテスターのメーターが、狂ったように振り切れた。
ピロリロリロリ! ギュイイイイイン!!
「うおっ! 針が振り切れた! まだ手を繋いでないのに、お姉さんの発汗(パッション)だけでメーターがマックスだよ! さすが情熱の四川料理好き、あずきとそらお兄ちゃんへの愛が溢れ出てるね!」

「ち、違いますわ! これは怒りと羞恥による交感神経のエラーです! こんな破廉恥な機械、今すぐ解体して燃えないゴミに出しなさい!!」
エレノア嬢の完璧なシステム(冷静沈着な態度)は、レオが仕掛けた「枯れた技術のラブテスター」によって、文字通り完全にバグらされてしまった。
私は、顔を真っ赤にして怒るエレノアと、腹を抱えて笑うレオを見比べながら、この『ザ・ガレージ』が、思考の森において「最も油断ならない場所」であることを深く悟ったのだった。


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