他者の沈黙、疲弊、服従、善意、時間、尊厳を「燃料」として、自分だけが安全圏、利益、名声、支配権を得る者。
または、そのような利益配分を当然のものとして維持する組織・制度・社会構造を指す。
必ずしも、利益を得る者が自覚的な悪意を持っているとは限らない。
しかし、誰かが負担し続けなければ成立しない利益を享受しながら、その犠牲を不可視化し、当然視し、改善を拒むならば、その者もまた「犠牲の上の利益者」である。
責任を下へ流す者
上位者でありながら、判断の責任だけを回避し、現場・弱者・部下・家族・支援者に負担を押し付ける者。
美名で犠牲を包装する者
「公益」「伝統」「成長」「効率」「自己責任」「福祉」「愛国」「家族愛」などの言葉で、誰かの苦痛を正当化する者。
他者の善意を使い潰す者
まじめな人、断れない人、責任感の強い人、優しい人を『便利な資源』として扱う者。
沈黙によって得をする傍観者
問題を知っているのに、声を上げる者だけを面倒扱いし、自分は安全な場所に残る者。
分断と恐怖を飯の種にする者
人々の不安、怒り、孤独、劣等感を煽り、それを政治的・経済的・承認欲求的な利益に変える者
有り体にいえば、他人の人生の赤字を、自分の黒字に返還する者です。
『犠牲』とは何であるか、という定義は様々だと思いますが、大まかに言えば、
- 経済的犠牲
誰かの低賃金、過重労働、生活の困窮の上に、別の誰かの利益が積み上がる。
- 暴力的犠牲
恐怖、威圧、軍事力、ハラスメントによって、弱い立場の者が黙らされる。
- 身分的犠牲
肩書き、家柄、階層、雇用形態、障害、年齢、性別などを理由に、誰かが「下」に置かれる。
- 文化的犠牲
ある土地の記憶、言葉、暮らし、尊厳、伝統が、便利さや利益の名のもとに踏みつぶされる。
つまり『犠牲の上の利益者』とは、
他者の痛みを材料にして、自分の地位・富・安全・快楽・名誉を築いている者と言えると思います。
そして厄介なのは、彼らは自分を悪人だとは思っていないことです。
むしろ「自分は賢く立ち回った」「努力した」「当然の報酬を得ている」と信じている。
だから厄介なのです。

