遥か中世、広大な霧の森域《シルヴァ・ネブラエ》一帯を治めていた領主、カラ・ユースフ辺境伯(Markgraf Qara Yusuf)の異名。
黒羊の意味
羊は、古くから神に従う信徒や、導かれる民の象徴とされてきた。
白い羊は、従順で清らかな、正しい信徒。
それに対して黒い羊は、群れに馴染まず、共同体の秩序から外れた者、あるいは異端者の象徴として扱われた。
白い羊の群れの中に生まれた黒い羊は、その毛を自由な色に染めにくく、白い羊毛より用途が限られた。
そのため、価値の低い存在として扱われることもあった。
そこから転じて、「黒い羊」は、家族や組織、共同体の中で異質とみなされた者、不名誉を負わされた者、裏切り者とされた者を指す言葉となった。
ただし、黒い羊が本当に邪悪であるとは限らない。
それはしばしば、白い群れの側が、自分たちと異なる者へ与えた名前である。
汚れ役としての黒羊
霧の森域《シルヴァ・ネブラエ》は、常に周辺列強の圧力にさらされていた。
カラ・ユースフ辺境伯は、その脅威から領地を守るため、自ら戦地へ赴いた。
領主でありながら前線に立ち、剣を取り、兵とともに泥を踏む勇敢な騎士であったと伝えられている。
しかし、戦争は剣だけで行われるものではない。
周辺諸国との駆け引き、密約、停戦、裏切りと見える譲歩。
領地を守るために彼が引き受けた政治的判断は、やがて敵対勢力によって歪められた。
勇猛な騎士としての名声は塗り替えられ、彼は「裏切り者」「異端者」「黒羊」と呼ばれるようになった。
だが、領地に暮らす民にとって、彼は裏切り者ではなかった。
彼が求めたものは、領土の拡大でも、王冠でも、名声でもない。
ただ、霧の森に暮らす人々が、明日も畑を耕し、子を育て、夜に灯火を灯せること。
その安寧だけであった。
彼は慈悲深い善政でも知られていた。
土地の事情を顧みない重税を戒め、戦災を受けた村々には租税の猶予を与え、孤児や傷痍兵の保護にも力を尽くしたという。
また、霧の森域は良質な葡萄の産地でもあった。
辺境伯は葡萄栽培とワイン生産を奨励し、それを単なる嗜好品ではなく、領民が自らの手で築く産業として育てた。
後に《黒羊の葡萄酒》と呼ばれる濃色のワインは、彼の治世を象徴する品となった。
黒羊の死後
カラ・ユースフ辺境伯に跡継ぎはいなかった。
彼の死後、霧の森域は周辺の王侯による継承争いへ組み込まれることを拒んだ。
領民、商人、葡萄農家、職人、退役兵たちは評議会を組織し、比較的早い時期に市民自治区として歩み始めた。
それは偶然ではない。
辺境伯が民へ残したものは、領地でも王統でもなかった。
自ら考え、自ら選び、自らの土地を守るための自治の精神だった。
黒羊の騎士は、王朝を残さなかった。
代わりに、王を必要としない民を残した。


