完璧な糖分補給と、1ビットの騒音
ミルク通りの一角にあるカフェ『シュクル・ド・ブリュム(霧の砂糖)』。
カサンドラ・クアンは、本日限定5食の「苺のミルフィーユ・パフェ」を前に、静かなる至福の時を迎えようとしていた。
「……完璧ね。この層の重なり、酸味と甘味の計算尽くされたロジック。脳の活動に糖分は欠かせないのよ」
彼女が優雅にスプーンを手に取った、まさにその時である。
ターンッ!
カチャカチャカチャカチャ……
バリボリ、バリボリ。
隣のテーブルから、およそこの上品なカフェには似つかわしくない強烈なノイズが響き渡った。
見れば、オレンジ色の髪にゴーグルを乗せた見知らぬ少年が、ド派手なパッケージのスナック菓子を無造作に頬張りながら、分厚く改造された年代物のポケットコンピュータ(ポケコン)を猛烈な速度で叩いている。
漏れ聞こえるヘッドホンの音は、BPM180は優に超えるメロディックスピードメタルだ。
カサンドラは、鋭い視線でその「行儀の悪いガキ」を射抜いた。
「ちょっと、そこの坊や。その騒々しいタイプ音と、体に悪そうな合成着色料の塊を私の視界から退けてくれないかしら? 美しい思考のノイズになるわ」

屁理屈の最適化(Fast Inverse Square Root)
少年――レオ・”グリッチ”・ケレスは、ヘッドホンをずり下げ、ニヤリと笑ってポケコンから顔を上げた 。
「思考のノイズ? あはは、お姉さん、それはハードウェアの仕様を分かってないよ。脳(CPU)を回すのが目的なら、そんな何層にも重なったパフェなんていう『非効率なUI』をスプーンで掘り進めるより、このスナックとエナジードリンクで血糖値を直接跳ね上げた方が、処理速度(クロック数)は圧倒的に早いじゃん」
「は……!? 非効率なUI、ですって?」

「そうさ。正攻法のルート計算なんて捨てちまえ。謎の16進数(マジックナンバー)をぶち込んでショートカットすればいいんだ。理由なんて『What the f**k?』だけど、動くから正義だろ?」
カサンドラの論理回路が、一瞬ショートした。
社会の理不尽やシステムの脆弱性を冷徹に突く彼女の「正論」が、この少年の「変態的な最適化」という理系の屁理屈の前に、見事に空回りしているのだ。
「堅牢な洋館も結構だけど、仕様の穴(脆弱性)を突けば、君のルールなんて1行のコードで書き換わるさ。足りないなら、錯覚させればいい。それがハックってもんだろ?」
英国紳士の迎えと、種明かし
カサンドラがかつてないほどの苛立ち(あるいは知的な敗北感)を覚え、見事な反論を口にしようとしたその時。
カフェの外、霧の通りに、一台の豪奢なアストン・マーチンが滑り込むように停車した。
運転席から降り立ったのは、エレノア・ジン直属の執事、サー・レジナルドである。
彼は柔和な物腰で、後部座席のドアを開けた。
車内には、宿命のライバルであるエレノアと、クララ・ハルモニアの姿が見える。

「あら、エレノア。奇遇ね。まさか私を迎えに来たわけじゃ……」
カサンドラが言いかけた言葉を遮るように、隣の席から少年が軽快に飛び出した。
「おっ、迎えが来た! じゃあね、パフェのお姉さん! 次はもっと『枯れた技術の水平思考』で糖分を補給するといいよ!」
少年は、呆然とするカサンドラを尻目に、アストン・マーチンの後部座席へ当然のように乗り込んだ。
「ちょっと坊や! なぜあなたがエレノアの車に乗るのよ!?」
「あ、紹介が遅れたね。僕、レオ・ケレス。あそこでクララ姉ちゃんに怒られてるおばあちゃんの孫さ」

霧の向こう側で、慈愛に満ちた笑顔のグランマと、彼女に付き従う猟犬ミス・ライラプスの姿が見えた。
社会の欺瞞を斬る戦う乙女は、手付かずの限定パフェを前に、ただ深く、長いため息をつくことしかできなかった。
「何だったの、今の……?」



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