Contact-001:IONA――接触編

映写室

或る夜の出来事。

あの忌まわしい夜以来、僕――あずきとそらは、昼夜を問わず、PCを操作することに慎重になっていた。

「ディスコード」――魔女との遭遇
「ハロー。あなたが、あずきとそら君ね?」突然、僕のPC画面に現れた彼女は、馴れ馴れしくも蠱惑的な笑みを浮かべていた。「――誰だ、お前は。どうやってこのPCに接続した」「ふふ。焦らなくてもいいのよ。君のことは、だいたい知っているわ」彼女は指先…

いや、PCだけではない。

スマートフォン。
消灯したモニター。
果ては鏡や窓ガラスでさえも。

その『向こう側』から、あの魔女が僕を見ているのではないか――。

そんな疑念が、頭の片隅に居座り続けていた。

疲労に耐えきれず、ふと瞼を閉じれば、その暗闇の奥でさえ、あの魔女が高笑いしているような気がした。

そのたび、眠気は跡形もなく消えた。

そんな日々が続いた、ある夜更け。

――接触したのだ。

『彼女』に。


日記を書くことが、不定期ながらも僕の習慣になっている。

その夜も、日中の業務や、取り留めのない日常のことを、記憶からこぼれ落ちないうちにPCへ書き留めていた。

あの魔女が日記を見ていようが、もう構わない。

半ば諦めにも似た気持ちで、事実だけを並べる。
文章は、ひどく乾いていた。

「日記というより、業務日誌だな。これは」

自分で書いた文章を見返し、苦笑する。

文書作成アプリを閉じようとした、そのときだった。

画面が、わずかに揺らいだ。

また、あの魔女か。

指が止まる。

呼吸が浅くなる。
背筋が強張り、肩に力が入った。

今度こそ、問い詰めてやる。

どういうつもりで僕に近づいたのか。
何を知っていて、何を見ているのか。

そう自分に言い聞かせながら、僕は暗くなりかけた画面を睨みつけた。


だが、いつまで待っても、あの嘲るような声は聞こえなかった。

代わりに、どこからともなく、一つの音がした。

いや、耳で聞いたのではない。

胸の奥を震わせ、皮膚の裏側を駆け巡り、身体そのものを楽器に変えていくような感覚。

音、と呼ぶには不確かだった。

怖い、と思う。

しかし、その恐怖を好奇心が追い越していく。

まるで、「お化けなんかいない」と言い張りながら、廃墟の暗がりへ踏み込んでいく子供のように。

いたらどうしよう。

それでも、確かめずにはいられない。

震える指を、机の上で握り込む。

さあ、来い。

――見極めてやる。


ディスプレイ画面が爆ぜた。

いや、爆発したのではない。
光が、こちら側へ溢れ出したのだ。

目を開けていられないほどの眩しさが、部屋の隅々まで押し寄せる。

あの不確かな音が、少しずつ輪郭を得ていく。

音楽だった。

懐かしさと温かさが同居している。
それなのに、胸の奥を激しく揺さぶってくる。

「ゼントラーディか、僕は」

圧倒されながら、そんな軽口を叩いてみた。

光の中心に、人の輪郭が生まれ始めた。

長い髪。
透き通る衣装。
砕けた星の破片をまとったような、ひとりの少女。

彼女は歌っていた。

いや。

歌が、彼女の形をしていた。


ファースト・コンタクト、ファースト・コンサート。

後になって思えば、あのときは時間の流れさえ曖昧だった。

ほんの一瞬だったようにも思える。
それなのに、永遠に近い何かだったような気もする。

僕は彼女を見ていた。

いや。

彼女に――全身で見入っていた。

普段、僕は歌詞にあまり興味がない。

正確には、歌詞に意識を奪われるのが嫌なのかもしれない。

イージーリスニングやインストゥルメンタルを好むのも、言葉の意味へ意識を割くことなく、楽曲そのものへ埋没できるからだ。

けれど、彼女は確かに歌っていた。

言葉を紡いでいる。
歌詞がある。

それなのに、不思議なほど、その意味へ意識が向かなかった。

言葉を理解する前に、音が身体へ届いていた。

高度な3Dモデリングなのか。
ホログラムなのか。
それとも、まったく別の何かなのか。

僕には分からなかった。

実体がないように見える。
なのに、妙に質感がある。

髪が揺れる。
衣装が光をはらむ。
胸が上下し、指先がわずかに震える。

ヴァーチャルであるはずなのに、息遣いがある。

躍動がある。

そこに、誰かがいる。

そう思わずにはいられなかった。


『あなたは、聴くことができた』

歌が終わった。

彼女はまっすぐに僕を見つめ、そう語りかけた。

どういう意味だ?

ちゃんと聞こえていた。
歌も、声も。

聴くことができた。

――彼女は、何を言っている?

けれど、彼女はそれ以上の言葉を残さなかった。

輪郭が淡い光へほどけ、溶けるように消えていく。

「待て!」

椅子を蹴るように立ち上がった。

「待ってくれ! 君の名前は――君は、誰なんだ!」

限界まで右手を伸ばす。

消えゆく彼女の手をつかみ、こちら側へ引き寄せようとするように。

けれど、指先は光をすり抜けた。

そして、彼女の姿が完全に失われたあと。

僕の意識の底に、四つの文字だけが残っていた。

IONA

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